少し前の話になるが、友人と雑談をしている中で、
僕「あんまり思ってる事や考えている事を、
そのまま発言すると、変な人って思われるから、
注意深く話すように、気をつけてるんだよね」
友「え?もう君が変なヤツだって事は、十分バレてるよ?」
僕「え?wwマジ?」
友「うん。ほとんどの周りの人がそう思っていると思う」
僕「・・・・・・・・」
という会話があった。
僕は変なヤツだったようだ。
全く自覚がない訳では無い、むしろ独自性のある人間でいたかった。
しかし「変なやつ」「変人」という定義は、あまりにも言葉の意味が広い。
もう少し「変な人」という定義を明確にしてみようでは無いか。
以前の会社に変なヤツがいた。
協調性が低く、社員との喧嘩が絶えず、無遅刻無欠席の連続。
顧客からは連絡がつかないと会社に電話がある。
しかし魅せ方は上手で、MTGの場面などではきれいな報告をする。
しかし実情は、顧客からも担当替えを申しだされる始末。
挙げ句、会社に来なくなり、退社していった。
果たして彼は、「変な人」だったのだろうか?
僕達が感じた彼は、「変な人」だった。
変という事には、逆の「変では無い」という事がなければ成立しない。
「変では無い」を「普通」と定義してみて「一般的」「大衆」とする。
「一般的だよね」「大衆的だよね」と言われると僕は、嬉しいだろうか?
否。嬉しくない。
「独特の感性を持っているよね」
「君の独自の切り口が面白いよね」
「君だからお願いしたいんだ!君だからできるんだ」
「すごいね!」
と言われたい。
「変な人」と思われるのは嫌。
「一般的」と言われるのは嫌。
変な人とされて弾かれてしまう事は嫌だが、普通の人と思われるのもシャク。
どっちつかずの折衷案を考えると、
「一般的な礼儀やルールは理解しながらも、独自の感性を持っていて、
オリジナルの提案ができ、一定の信頼と成果を得ている人」
という当たりで手を打ちたくなる。
マインドセット的には、
「人と違ったモノの見方ができるように、日々思考を磨きつつも、
臨機応変に時と場面に応じた、その場に沿った提案を行う事ができるスキルを磨く」
あたりだろうか。
最近、変なブログを書き始めたのだが、
僕の中の変な人の部分が「もう少し僕も出してよ。それも僕じゃないか。」
と、ささやくので小出しにしている所存である。
変なやつだ!と弾かれたらすぐに引っ込む弱気な僕なので、遠巻きに見守ってほしい。